わたなべクリニク院長雑記: 2017年1月アーカイブ

2017年1月アーカイブ

 20年前Stanfordでお世話になった方がフランスのブーレズ・パスカル賞を取られたとの報告が年賀状でありました。不覚にもブーレズ・パスカル賞を存じあげていなかったので調べてみるとノーベル賞受賞者もこの賞を多く受賞しているらしく、受賞者はパリ大学に招聘され1年半の間、研究と講演をする栄誉が与えられるようです。お正月から学問に身を捧げる人の成果を聞けて本物の学者の生き様に感動しました。大学の留学生センターでアパート探しに途方に暮れている時、声を掛けてくれた初めての日本人が奥様でした。疲れ切っていた私をよっぽど哀れに思われたのかその日の夕食に招いていただき、美味しい手作り料理で生き返ったことを思い出します。現地の医学系留学生は一様に耐乏生活でしたが、ご夫婦は省庁からの派遣なので車も2台支給されてMenlo Parkの高級アパートに住んでおられました。1995年頃はインターネットの創成期でしたので、私はメールを使った経験もなく留学前は米国とはFAXでやりとりをしていました。いきなりメールアドレスを聞かれて恥をかいた覚えがあります。メールでなんでもできる今とは隔世の感があります。

 私の住まいとなったCalifornia ave.界隈ではgoogleなどが産声をあげていたようですがその存在を知るのはもっと後になってでした。Hewlett-Packardの敷地の間を通って研究室に毎日通い、波乗りに行くときはいつもAppleの建物を横目で見ながらfreewayを車で走ってました。大学内にはMicrosoft寄贈の校舎も建造中でした。まさにITの勢いを感じる頃だったと思います。しかしながら私の周りにはIT関係者はおらず、正直言うと当時はその本当の可能性を理解しておりませんでした。ただ、世界中の研究者がStanfordに集い切磋琢磨している事は肌で感じておりました。私のアパートの隣は神戸大学の医師で不夜城の研究室で猛烈に研究しており、階下はウイーン大学のウイルス学者の家族が住んでおりました。途中でお隣さんが理化学研究所の統計学者に変わったので統計の相談に行ったら、半端なく深い話になりまったく理解不能でしたが数学者の奥深さだけは理解できました。気楽に人に聞いてはいけないものだと反省した覚えもあります。大学周辺のカフェには週末はのんびりと新聞を読んでいる人達が沢山いますが、この中にノーベル賞の人もいるんだろうな〜と密かに思いながら家族と朝食を摂っていました。今でもStanfordには3〜4年に1回は訪れますが、Facebookの本拠地にもなっており時代の流れの傍観者のような気分になり、自分も齢を重ねているのだと自覚させられます。

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